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WEB BOOK : haluta 365

haluta 365 REGULAR BOOK

LIVING, LIFETIME BEST

自分史上最高の、居場所のつくりかた

vol.17

March
,28,2017

巣ごもりの日々 #3 『足もとの宝を探す』

posted by ASAKO FUJINO

3月も終わりだというのに、雪が降った。
山沿いの北軽井沢では、この時期の雪は珍しいことではないが、丸一日以上降り続き、50cm近くも積もるとは想像以上。
さあ新年度、さあ新生活、とカレンダーだけを見て、頭を切り替えようとしていた人間の出鼻をくじくようなこの空模様。
なんとも、人間より自然が主役のこの土地らしい洗礼だなあと思う。

 
076
 

この土地で暮らすようになってから、冬という季節の概念が変わった。
他の3つの季節同様、気づけば足を踏み入れ、気づけば通り過ぎていた街暮らしでの冬と違って、ここでのそれは輪郭がくっきりしている。
気温が零下まで下がり、ぱきっと空気が入れ替わる11月下旬に始まり、ようやく固く凍った地面の下のほうからちょろちょろと水の流れる音が聞こえるようになる4月の初めまで。
たっぷり5ヶ月間近く、ここでは存在感たっぷりの冬から逃れることはできない。
あたりは雪と氷と覆われ、自由に動き回ることはできず、時には大雪で文字どおり閉じ込められる。
第一、日中でも氷点下のままの寒さが続けば、頭も身体も次第に動きが鈍くなる。
移り住んでしばらくの頃は、冬だからといって生活のペースが左右されるのはおかしいと、だいぶがんばってみたものの、そのうち抗うことのほうが無理をしているのだと気づくようになった。
一年のうち半分近くが、思うように、したいように動けなくなる場所だなんて。
そんな不便極まりないところに、どうしてわざわざ暮らしているのか。
自分でも不思議だなあと思うけれど、さらに不思議なのは、長く不便な冬をひとつ越すごとに、やっぱりこの場所がいいなあと思えてしまうことだ。

 
008
 

それぞれのひとにとっての「居場所」とは、どういうところを指すのだろうと、ここ数年考えてきた。
WEB BOOK「haluta365」の掲げるテーマは、「創意くふうの居場所づくり」。
ここでいう「居場所」は、ひとつの居住空間のことだけではなく、ふだんの生活や暮らしを取り巻く少し広い意味__土地とか、環境とか、風土と呼ばれるものとか__も含んでいる。
この連載ページ以外にも、2年ほどにわたって、「SPACIAL BOOK」という特集コーナーをお手伝いしながら、「haluta」の拠点となる上田市や信州を中心としたいくつかの、誰かにとっての居場所のあり方を覗かせてもらってきた。
それと同時に、今、自分が暮らしている北軽井沢をはじめとする浅間北麓地域の歴史や土地のなりたちを調べて発信するお仕事にも関わることになり、奇しくもどちらも「居場所」というものを掘り下げて行くというテーマが共通していた。

 

ある人と、その人にとっての「居場所」について、話を聞いたりその場を覗かせてもらうことは、とても興味深い体験の連続だった。
当たり前のことだけれど、人が100人いれば、居場所のかたちも100通りある。
同じ町、同じ地域に住んでいるからといって、それぞれが感じる居場所のあり方は同じではない。
わかりやすい分類でいえば、何代にもわたって土地に住み続けてきた人と、数年前によその土地から移り住んできた人とでは、その土地の見え方も、感じ方も、まるで違う。
同じ場所のことなのに、北極と南極について話しているのかと思うほど、正反対の角度から捉えていたりする。
年代によっても、職種によっても、もちろん違う。
みんながみんな、地図の上では同じに見える場所で、それぞれに違った風景を見て、違う匂いを嗅いで、その場所を自分の「居場所」と感じながら(あるときは意識的に、ほとんどは無意識に、)生きている。
なにより面白いのは、それらの「居場所」がどれも、誰かにとっては“ほんとうなもの”で、そこに正解も不正解もない、ということだ。

 
100
 

よく「自分探し」「居場所探し」と揶揄されたりするけれど、わたしも20代の頃までは、今いる場所が自分にとってほんとうの居場所ではない気がして、いつも不安で、焦ってばかりで、居心地が悪かった。
30歳になったとき、この北軽井沢にやってきて、そのままなんとなく居着いてしまい、年をとって厚かましくもなったせいで、今ではここを「居場所」と称して、えらそうに居座っている。
この場所が、わたしにとって“正しい”居場所かどうなのかなんて、わからない。
もしかしたら、もっと魅力的で、(暖かくて、笑)、すばらしい仲間が待っている、よりよい別天地があるのかもしれない。
だけど、今はもう、寒さや不便さをチェッと思うことはあっても、得体の知れない焦燥感はなくなった。
それは、見果てぬどこかに眠る埋蔵金を探し当てるよりも、足もとに転がっている小さな砂金の粒を拾い上げることのほうに、自分の興味の目先が変わったからだと思う。

 

ここ数年で出会った人々に、それぞれの「居場所」について聞いていくうちに、教えられたのは、どんな場所にも宝は眠っているということだった。
そして、あたかもベストな居場所を見つけて、毎日を楽しく暮らしているように見える人は、たいてい、自分の足もとにあるお宝を見つけるのが上手な人ばかりだった。
どこにも転がっていそうな石ころや、なんの変哲もない風景も、その人が「ほら見て、これ、すごくきれいでしょう!」と笑顔で目の前に差し出されると、だんだんそんなふうに見えてくる。
世の中におけるそのものの真の価値なんて、どうでもいい。
その人がそれを宝と信じて、毎日をそのそばで暮らせていられることを自慢に、幸せに思えるのなら、それは紛れもない財宝なのだ。
そのことに気づいてからは、今いる居場所と、どこかにあるかもしれないよりよい居場所とを較べたりしている時間があったら、すぐ手の届くところにある原石を手にとって、毎日、少しずつ撫でさすりながら光らせていくことのほうが、断然面白くなってきた。
一度見えるようになると、今度はどれもこれもお宝の卵のように見えてきて、忙しい。

 
002
 

半年近くもつづく長い冬のせいか、わたしが忘れっぽいだけなのかもしれないが、雪の融けた真っ黒な地面や死んだように見えていた枝先から、ちょんちょんと緑色の新芽が現れ始めると、「こんなところに緑があったんだっけ!?」と、生まれて初めて見たもののようにびっくりする。
毎年毎年、新鮮に驚けるなんてバカだなあと自分でも思うけれど、これだって、この場所にしかないお宝である。
よく言えば、寒さに耐えたご褒美。でも、ただ何もせず、ぼんやり冬をやり過ごしてしまった人にも、そのお宝はタダで手に入る。
自然は、厳しいけれど、けっこう太っ腹でもあるのだ。

 

一生かかってもぜんぶの箱を開くことはできないこともわかっていながらも、わたしはこれからもこの場所で、じぶんの「居場所」で、ちまちまと宝探しを続けていくのだろう。

 
077
 
 

最後に。
お宝の存在を気づかせてくれた、「haluta365」を通じてお会いできたすべての方に、
そして、(見えないところでこっそりわたしを操りながら)その機会を存分に与えてくれた“師匠”Y氏に、
心より、感謝をこめて。

 

巣ごもりの終わりの日に…

 
010

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posted by ASAKO FUJINO

2004年より浅間山のふもと・北軽井沢に移住。週末のみオープンするブックカフェ「本とコーヒー麦小舎」を営みながら、暮らしまわりや地域文化などを中心に編集・ライター業に携わる。毎年秋に北軽井沢で行なわれる本のお祭り「ブックニック」主催。猫1犬1夫1と暮らす。

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